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阿部兄妹アベックV!2人でオリンピックへ…

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柔道の大会って意外と多いって知っていましたか?世界選手権はもちろんですが、グランドスラムやオリンピック、国内の大会も本当に様々何です。

“柔道は日本の国技”というだけあって、その競技人口は本当に多いですし昔から注目されてきた競技の一つでもあるんですが、今や世界中で人気!特にフランスの競技人口は二本以上ですし、ロシアのプーチン大統領が有段者というのはよく知られていることです。

そんな柔道、現在グランドスラムが行われており、早速日本人のメダリストが誕生しました。特に注目したいのが阿部兄妹。阿部一二三は永遠のライバルともいえる選手もいる中でのグランドスラムとなりましたが、いったいどうなったんでしょうか。

 

目次

阿部詩がオール一本勝ちで優勝!

ドイツのデュッセルドルフで行われている柔道グランドスラム。この大会は2020年東京オリンピックの代表選考会にもなっており、この大会で優勝などの好成績を収めると東京オリンピック日本代表に非常に近くなることになります。

阿部詩はすでに女子52kg級の代表確実とされており、この大会でも決勝に進出。決勝戦では201911月のグランドスラム大阪大会決勝で苦杯を喫したフランスのアマンディーヌ・ブシャールを一本勝ちで破り、優勝しました。

優勝に関して阿部詩は、うれしい気持ちよりホッとした気持ちがあると表現。あくまでも東京オリンピックへの通過点であり、落ち着き、焦らず、相手を見ることができた試合を振り返り、自身の成長を実感しました。

今後の課題としては今回寝技を躊躇したことから、足技、組手のパターンを増やすこと、積極的な攻めの柔道を追及するとしました。

 

阿部一二三の決勝は?

柔道・グランドスラムデュッセルドルフ大会で優勝を収めたのは、阿部詩の兄・阿部一二三も同じです。

妹の阿部詩が優勝を飾ったその日、阿部一二三も決勝戦でジョージアのバジャ・マルグベラシビリを破り優勝、それまで東京オリンピック代表の一歩先を行っていた丸山城志郎に並びました。

この日制裁を欠いていた阿部一二三でしたが、準決勝では指導を2つ貰いながらも延長戦の末にブルガリアの選手に優勢勝ちし、決勝戦も序盤は攻め込まれるものの大内刈りで技ありを奪い、残り40秒というところで一本勝ち、無事に優勝できて良かったと残しました。

一方の丸山城志郎は左ひざのけがのために欠場、男子66kg級は混戦模様となっています。

表彰式では2度も名前を妹と間違えられたという阿部一二三、今回の大会に満足はせず、もっといいパフォーマンスをするためにも勝ちきって代表の座を掴み、東京オリンピックを兄妹で優勝するという夢を達成したいと述べました。

東京オリンピック代表は4月の最終決戦で決まります。

 

壁を破った影浦心にも注目

東京オリンピック代表選考に向けて、もう一人忘れてはならないのが影浦心です。

201911月に行われた柔道グランドスラム・パリ大会、影浦心はなんと絶対王者のフランスのリネールを破ったのです。

フランスのリネールは先にポイントを取ってあとは逃げ切るというスタイルの選手。鉄壁の守りでなかなか攻めさせてもらうことができないと言われてきました。その結果、リネールはこれまで154連勝という偉業を成し遂げてきました。

今大会でリネールは160kgはあるのではないかと思われるほど大きくなり、コンディションは万全とは言い難い様子でした。しかし一本勝ちもできる選手です。強い相手には無理をせず慎重に戦うスタイルを持っていました。

そんなリネールを破ったのが影浦心です。大学生のころからリネールに勝てるのは影浦心くらいだと言われるほどの実力者だった影浦心、その快挙は世界中を驚かせました。

 

原沢久喜か影浦心か

男子100kg超級の代表を争っているのがその影浦心と第一人者と言われる原沢久喜です。

2人の戦績を201811月以降で見てみると、原沢久喜は世界柔道選手権2019東京大会をはじめ7つの国際大会出場で2回優勝、4回準優勝を飾っています。

影浦心は個人戦のみ6大会に出場、優勝なし、2位に2階、3位に3回と、回数だけ見れば原沢久喜が有利と言えるでしょう。

そんな2人は対照的です。影浦心の持ち味は100kg超級には珍しいスピードで、走ると中軽量級の選手と変わらないと言います。またスタミナも非常に強く、誰にも負けない自信を覗かせています。

得意技は担ぎ技、179㎝と100kg超級の選手としては小柄な特徴を生かし、左背負い投げを得意としているのです。ほかの選手が190㎝以上だったり、体重も影浦心の118kgよりはるかに重い120kg超え、150kg超えと考えれば、そのデメリットをメリットにした形と言えるでしょう。

今回リネールを破ったことで東京オリンピック代表に一歩近づいた影浦心ですが、11月の大会では決勝戦で敗れています。4月の選抜体重別選手権でどのように決着がつくのか、それが男子100kg超級代表を決めるポイントとなることは間違いないでしょう。

 

男子60kg級は高藤直寿

柔道グランドスラム・デュッセルドルフ大会の結果をもう一つ。

男子60kg級を制したのは高藤直寿です。

高藤直寿はリオデジャネイロオリンピックで銅メダルを獲得。今回の優勝で2大会連続のオリンピック出場が濃厚になりました。

また準決勝まではすべて一本勝ちと内容も良好。決勝は不戦勝となりましたが、高藤直寿は試合後、出来は完ぺき、オリンピックでは優勝することしか考えていない、今が本当に一番強いとコメントしました。

一方の女子48kg級には渡名喜風南が出場するも、決勝でフランスのシリヌ・ブクリに敗れ準優勝となりました。決勝後、最後に勝ちきれない弱さを反省しました。

 

女子78kg超級は素根輝

一方で早々に代表に名乗りを上げた選手がいます。それが素根輝です。

全く想像がつかないという東京オリンピック、それもそのはず素根輝が代表入りを決めたのは79日のことです。まだ1年も先のことですから、イメージはわきづらいかもしれませんね。

115kgという78kg超級の中では小柄な素根輝、国際大会に出始めたころは押されて指導を受けることも多かったと言います。

それでも組手を磨き、国内のライバルだった朝比奈沙羅に5連勝し、東京オリンピックの代表の座を掴んだのです。

オリンピックに向けて組手もスタミナもパワーも強化していきたいと述べました。

 

オリンピック柔道金メダル第一号は誰?

ところで、オリンピックの柔道競技で初めて日本に金メダルをもたらした人物が誰かご存じですか?

実は柔道がオリンピックの正式種目として採用されたのは1964年の東京オリンピック。しかし日本は敗れてしまいました。

当初から4階級制となっていた柔道ですが、柔よく剛を制すという言葉があるように、本来の柔道は無差別級と言われてきた時代。その無差別級決勝で神永昭夫がオランダ代表のアントン・ヘーシンクに敗れたのです。しかし階級別でみれば、軽量級にあたる68kg以下級で、日本の中谷雄英が金メダル第一号をもたらしていました。

中谷雄英は決勝で勝利したものの、その後明治大学の先輩に「柔道は無差別であり、軽量級など何でもない」と心無い一言を投げつけられます。しかし日の丸という大きなものを背負っていた中谷雄英、それは計り知れないほどの重さだった、国技で負ければ国賊扱いと考えれば眠れない夜もあったと言います。特に準決勝で対峙した旧ソ連代表のオレグ・ステパノフには絶対に負けられなかったと言います。

中谷雄英が代表候補に選ばれたのはオリンピックの3年前、この時初めて合宿に参加し、軽量級10人中10番目くらいだったと言います。代表は岩田兵衛、重岡孝文、松田博文の3人のいずれかと考えられていました。

しかしオリンピック前年、旧ソ連の格闘技に当たるサンボチームが日本に遠征、軽量級選手がこぞって敗れました。重岡孝文は内容で圧倒され、何とか勝ったと言います。そしてその中でも苦しめられたのがオレグ・ステパノフだったのです。

中谷雄英は対戦こそしませんでしたが、2月のモスクワ開催の国際大会決勝で対戦、優勢勝ちを収めました。しかし優勢勝ちが逃げ勝ちととらえられ、中谷雄英はブーイングを浴びます。しかし一切気にしなかった中谷雄英、それはあえて逃げた体と言います。というのも会場は畳ではなくスケートリンクに素板を渡し、枯れ葉を敷いた上に絨毯を敷いただけのマットだったからです。

足元は滑り、子外刈りで踏ん張ることもできない。仕方なくぬれタオルを場外において「待て」のたびに足の裏を湿らせて対処したと言います。

その結果を受けて、対ソ連という意味で代表に選ばれたのが中谷雄英でした。

また中谷雄英はオレグ・ステパノフと相性がよく、オレグ・ステパノフの得意技である帯取返しにもしっかり対応できたと言います。

そんな中始まった東京オリンピック、中谷雄英は5試合すべて一本勝ちを収めたのです。

当初のオリンピックは最初からトーナメント方式で行われるのではなく、25人を8組に分けて予選リーグを行い、各組1位が決勝トーナメントに進むというもの。中谷雄英は予選リーグでタイの選手、イギリスの選手を抑え込みで退けると、準々決勝でアメリカの選手を出足払いで退けます。そして準決勝のオレグ・ステパノフ戦は425秒で合わせ技の一本。背中越しの帯を取らせずに先手を取り、釣り手の左による組手、最後までオレグ・ステパノフは攻めることができませんでした。

決勝戦ではスイスのエリック・ヘンニを合わせ技で退け金メダルに輝き、役目を果たしたと、ようやく安堵の表情を見せたのです。

引退後は世界中からオファーを受け、西ドイツで3年ナショナルコーチを務めるrと、1972年のミュンヘンオリンピックで銀1個、銅1個をもたらす成績を残しました。小柄ながら強さがあり、技が美味いということが評価につながり、また世界中を惚れさせたということです。

さらにその後はアジアの国々で柔道の普及に努め、今年の東京オリンピックでは聖火ランナーとして地元、広島県内を走ることが決まっています。202011日より20分の散歩を日課とし、大役を得たのだから頑張らないと、とオリンピックを楽しみにしているようです。

 

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